問う

ある時、高校生に「その時どう思ったの?」「今どんな気持ち?」と問いかけて驚いたことがありました。それは、自分の考えや気持ちを言語化することが、なかなかできないということ。「イエス・ノー」で応えられることには、すぐに返事をするのですが、自分で考えたり、内面を見つめる内容に対しては、声も出なくなる。それを伝える言葉を持っていないという事実。そういう子は、往々にして、発する言葉が世間一般で使われているような言葉になりやすい。

「言葉」とは「心の端」とも言われますが、いつの間に私たちは自分の言葉を失ったのでしょう。1つ目の言葉が伝わらなかった時には、言い換えるという作業をしますが、それもままならない。自分で考え自分に近い言葉を選ぶということは、もうしなくなったのでしょうか…そうなら、寂しい。私はどうだろう、と自問自答しています。

子どもの頃、推理小説とファンタジーが好きだった私。思い巡らせたり、想像の翼を広げたり。それは、宇宙を旅するひと時で、至福の時でした。そういうのって、「コスパ悪い」って言われちゃうのかな。

「答えを出す人」よりも「問い続ける人」を育てたい。そんなことを言われた方がおられますが、自分で自分に問いかけ、思い巡らせ、自分なりの道筋を見つけていく。それって素敵です。深くて愛おしい時間です。人は機械じゃないから、即答できない。考える時間が人を育てる。そんなことを思う今日この頃です。