裏切られるということ

先日の大谷選手の会見を見ながら、自分が信頼していた人から裏切られた時の痛みを思い出していました。私にとってそれは、信頼ゆえにさらけ出していた心の奥深くやわらかい部分に、アイスピックで突き刺されかき回されたような、鋭く激しい痛みでした。その後しばらくは、「この人は信じていいのか?」と疑いつつ人に接する「人間不信状態」に陥っていました。

芦田愛菜さんがインタビューで話しておられましたね。裏切られたと思うことについて、「その人自身を信じているのではなく、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまっていることかな。だからこそ人は、裏切られたとか期待していたのにと言うけれども、それは、その人の見えなかった部分が見えただけであって・・・」。

長い時間をかけて私も「自分の理想をその人に当てはめていた」「自分の思い描く期待と違った」ということだと思えるようになっていったわけですが、10代でこの言葉が出るなんて、愛菜ちゃん凄すぎです。

その後私は、人に期待する分量をセーブするようになりました。同時に、たとえ裏切られることがあっても、私は私、それでいい。そう思う気持ちが増えていきました。私の心は、誰にも傷つけられない。今はそうも思います。

それにしても、これだけ注目される大谷さんは大変です。奥さまとデコピンがいて良かったね。健やかに生きられることは、豊かで美しいです。