「愛想笑いはやめる」。この言葉にハッとしました。私自身が、ずいぶん愛想笑いをしてきたから。
自信がないから、親や周りの人の機嫌を損ねないように、「いい人」と思われたいから、その場を取り繕うために、さまざまな場面で愛想笑いをしてきました。もちろん、そのおかげで、軋轢を防いだり自分を守ったり、信頼を得ることもできました。でも、自分の中にはモヤモヤが残ります。「いい人」は疲れます。「心の伴わない笑顔」は、本音の自分との乖離を広げます。だからこそ、「愛想笑いはやめる」という言葉は清々しくて潔くて羨ましくて心に響いてきました。
では、「愛想言葉」もある?一番に浮かんだのは「どうも」という言葉。「おはよう」でも「こんにちは」でも「元気?」でもないあいまいな言葉。何となく使っているけれども、言葉だけがふわふわ浮いて、挨拶のようで挨拶でない、その場を取り繕う感じがする言葉です。けれども、使う人の気持ちによっては、次への布石になったり、場を和ませる言葉になったりもするようです。
愛想笑いも愛想言葉も、使う人の心の位置によるのかもしれませんね。自分の気持ちに近い言葉を使いたいと思います。それも、自分を大切にする方法ではないでしょうか。自分の言動は自分の心から出ています。そのことを噛みしめながら過ごします。