脳出血を起こし、意識が戻った時には半身不随になっていた母が言いました。「なくしたものは仕方ない。あるものを使って生きる」。
ズドーンと撃ち抜かれた言葉です。母、凄し。すばらし。生きるお手本。そう思ったものです。母は、その言葉通りに懸命にリハビリに励みました。愛する我が子を失ったショックで倒れたにもかかわらず、です。しかし、やがて、自分の左目が見えていないことに気づいた母は、失意のどん底に落ちました。そして私に言いました。「私を車いすごと、あの窓から突き落として」。。。
人生には、「これでもか」と苦難が襲ってくることがあります。「神さま、いつまでですか?」と嘆き、「もういらない!」ともがきます。本当に、どうしてなんでしょうね。神さま、不公平過ぎませんか。。。分かっているのです。起こったことは元に戻らない。人生には、どうしようもないことは、起こる。でも……
母のうちにあったかすかな希望が砕かれた時、側にいた私は何もできず、立ち尽くしました。私の中にも絶望が押し寄せていた、あの夜の窓から見たぼんやりとした街の風景は今も心にあります。
あれから15年以上経ちますが、今日も私は生きている。食べ、笑い、涙し、今を生きている。それが人生。人のもつ生きる力とは、なんとすばらしい。悲しい時には悲しみ、嬉しい時には喜び。それを分かち合う仲間が一人でもいたら、人は生きられる。そんなことを思います。
「にもかかわらず」人は今日も生きている。母も、体の機能は失っても、与えられた日々を懸命に生きた。残されたものを活かして、生きた。あるものを活かす。あるものに感謝して生きる。人間ってすばらしいですね。