「こげんときじゃけん、できる教育のあっとばい」

最近、西日本豪雨で壊滅状態になった倉敷市真備町を見た後、出会ったこの言葉を思い出しました。そして、自分の中にあった「今だから伝えたい想い」がふつふつと沸き上がってきた感じも思い出したんです。教師というのは、心の奥底に「伝えたい想い」を秘めた存在なのかもしれません。

ふと、私が27年間も教師であり続けられたのはなぜだろう、と考えてみました。すると思い出したのが、中学校の国語の先生です。坂本先生は、朝日新聞の天声人語の切り抜きを使って授業をしてくださいました。とにかく語りが熱い。なんでも授業に取り入れる。教科書にはない世界を目の前で広げてくれる。圧倒的な熱量に、ふいに、「この先生は、死の瞬間、悔いのない人生だったと言えるんじゃないかな」と感じたのです。多感な時期の私自身が、人生についていろいろ考えていたのでしょうか。とにかく、この先生が夢中になる『教師』という職業に興味を抱いたのは間違いありません。あの先生にも「伝えたい想い」があったんですね。授業の内容はすっかり忘れてしまいましたが、あの時の先生の口調や教室の空気感は、今も鮮やかによみがえります。坂本先生の生き様が、確かにそこにありました。あんなふうに生きたい、少なくても私はそう感じたのですから。

こんな思い出をもらえた私は、幸せです。教師でなくても、出会った人に何かを伝える者でありたい。いいえ、何も伝えられなくても、私自身が喜んで、感謝して生きていれば、それで十分なのでしょう。死ぬ瞬間、「いい人生だった。ありがとう」そう言いたいな。生き様を残せるなんて、最高にかっこいいな。そんなことを思う今日の私でした。