私の髪を切ってくれているのは、20代の頃から同じ人です。ちょっとお姉さんのその人は、亡くなった妹の髪も、車いす生活になった母の髪も切ってくれました。そう。家族でお世話になっていたのです。私がうつで休職した時には、料理を作りに来てくれました。動けない私に代わって買い物もしてくれました。彼女が引越しをする時には、私もお手伝いに行きました。7年ぶりに髪を切ってもらった時には、懐かしい切り方に岡山に帰ったことを実感したものです。

ある時、彼女が店長になりました。お店を切り盛りする頼もしい姿に、私も誇らしくなりました。やがて店長を自分より下の世代に交代した時、同じ店で働くのはどんな気持ちだろうと思っていると、「次の世代に変わるのは当たり前。いつまでも自分が前に出ていたら、次の人は育たない」とスパッと言うのです。潔い!「自分がやらなきゃという気持ちは、執着に繋がるからね。自分がやらなくても世界はまわる」とも言います。気持ちいい!

本が好きで、美術館巡りが好きで、映画が好きで。髪を切ってもらいながら、最近読んだ本の話や見たい映画の話をします。ついでに一緒に映画を見に行くこともあります。私が米沢にいる7年間も、時折ハガキをやり取りするぐらいで、つかず離れずのあっさりした関係でした。それが心地よい。

自分を生きる。楽しんで生きる。精一杯生きる。そして、あっさり次の世代に任せる。カッコいい生き方。さすが私のお姉さん。

教師だった頃の私には、ずっと現役でいたい気持ちがあって、時にはそれが執着となって自分が嫌になることがありました。そんな生々しい人間の自分に嫌気がさしたことを思い出しながら、ふとその彼女を思い出して、この世への執着は一つずつ置いていこうと思う今日の私。