先日、沢田の杖塾主宰の森口章先生の講座を受講するチャンスが与えられました。その時の、心揺さぶられたひとこまです。
それは、聴き手と話し手に分かれて「聴き方練習」をしている時のことでした。「私は聴き方が下手なんです。聴けない…」。そう言われた方に、森口先生は言われました。「自分の聴き方が下手と感じたん?それはすごいことよなあ。本気で聴こうと思うから感じることよなあ。下手でいいんよ。下手でいいんよ」。その方の隣で、目線を合わせて語る言葉には、包み込むような温かさがありました。その場にいたすべての人が愛に包まれました。
「弱さを誇ろう」という聖書の言葉を思い出しました。これは、「私、弱いんです」と宣言したり自慢したりするようなことではありません。ただ、何もできない無力な自分に気づき、もうだめだと思う時こそ、人はへりくだった謙虚な思いがわく。「助けてください」と素直に言える。そんな時こそ、神さまが弱い私を丸ごとすっぽりと覆ってくださるという意味です。私たちは、ともすれば、自分で何とかしようとする。なかなか「助けて」とは言えない。でも、どうしようもなくなり、本気で「我力」「自己充足」を投げ出す時にこそ、神さまが助けてくださるというのです。
そう。人間は限りある存在で、何から何まで自分ですることなんてできないし、できなくて当たり前。だからこそ愛おしい。森口先生の言葉の中には、そんな人間の限界を知った上での、その人への深い愛や信頼を感じます。
思えば、草も木も鳥も何もかも、人間が作ったものはない。でも、限りなく美しいし、地球は素晴らしい秩序の中にある。その美しいものの一つとして、私たち人間は今ここにいる。だから、周りと助け合うし支え合う。そんな世界の一つなんですよね。強くても弱くても、どちらも私。それでいい。森口先生は、いつも素直にご自分の弱さを語られます。失敗したこと、勇気が出なかったこと、抑え込んだ気持ち。やわらかく飾ることなく、時に目を潤ませながら語られる。これは、聴く者の胸に響いてくるのです。「弱さを誇ろう」「弱さは光」