『optionB』という本の中に「象🐘」の話が出てきます。

ここで言う「象🐘」は、「だれもが見て見ぬふりをしている問題」のこと。がんに侵された妹と家族である私たちの間の像は「死」でした。それは、誰もが意識しているけれども、決して口には出したくない問題。幼い子どもを残す妹にとっては、その不安やら心配やらを吐き出したいだろうと思うものの、それを口にしたら本当に死んでしまいそうで、怖くて到底話題にできないふるえる自分が、「像」を避けていました。ずっとずっと避けていました。

「がん哲学外来」では、癌の病理の専門家である樋野先生が、じっくりと当事者の話を聞いてくださって、必要に応じて言葉をかけてくださる。そこは、きっと、愛の溢れた陽だまりに違いないと思うのです。入ってこられた時には、悲しみや苦しみに心が押しつぶされていたとしても。だって、だれもが見て見ぬふりをする象🐘に、きちんと触れてくださるんですから。

私が2年間の休職期間を経て、現場に戻った時にも「🐘」はいました。「本当に大丈夫なの?」という「🐘」。そこには、さまざまな反応がありました。「あの人誰?」と遠巻きに見る人。「なんて声かけようか…」と迷いながら近づきながら、結局去っていく人。こわごわと声をかけてくれる人。避けられると、心が冷えていくんです。ところが、子どもたちは違いました。職員室のドアを開け、「かごちゃん、今までどこに行っとったん!」そう言って、まっすぐ飛び込んできてくれたのです。彼らには、「象🐘」はなんら関係なかった。そもそも、「象🐘」なんて存在していなかったのかもしれません。

日常生活にも、そこここに「🐘」はいます。私は、昨日も象にあいましたよ。もうしばらく「象🐘」に思いを巡らせてみます。