弱さのままで立つ

「弱さのまま立つ美しさ」という言葉が、しゃべラボで語られました。そして、「それを隠そうとすると、痛々しい」とも。

身に覚えがあります。妹が天に召され、6時間後に母が脳梗塞で倒れた。その後は毎日、5時過ぎると病院へ。病院が閉まってから自宅へ帰り、そこから授業の準備、保護者対応…身を削っての日々でした。それでも、周りの人に気を使わせないようにと笑顔で過ごしました。無理して笑っていました。そして数年後、言われたのです。「あの頃のあなたは、痛々しかった」。

そう。あの頃は、自分を鼓舞して生きていました。「しんどい」と一言でも言ったら、グラグラと自分が崩れていきそうだったから。必死で踏ん張っていました。それは、隠しているつもりでも、全く隠れてはいなかったわけです。むしろ、隠そうとすればするほど見えるものですね。それでも、そうしないと生きていけなかったのです。

最近も同じようなことがありました。数年前のことを「踏ん張っていたね」と言われたのです。隠しきれないと分かっていても、やはり、隠そうとする自分がいることを教えていただきました。

「弱さのまま立つ美しさ」。いい言葉です。「私は弱い。本当に弱いなあ。それが私なんだな。それでいい、それでいい」。弱い自分に気づくたびに、そんな言葉を自分にかけています。人はみんな弱い。だからいい。だから助け合える。空が青いのと同じくらい、当たり前のことなんですよね。弱さを隠さない生き方、いいですよね。