皆さんの『共感』された思い出には、どんなものがありますか?
と言いつつ、自分が最初に思い浮かべたのは『共感』されなかった時のことです。それは、妹が癌の診断を受け、「癌=死」という思いに覆われていた頃のことです。こんなことを言われました。
「大丈夫。一日生きればその分医学は進歩する。生きる可能性は高まる」……ううん……医学的見地をききたいわけじゃないんだけど。
「それはつらいね。私も母を癌で見送ったから、その辛さ分かるわ。でもね、あなたはいいわよ。まだ生きているんだもの。私なんか、どんなに親孝行しようと思っても、もう母はいないのよ(涙)」……おいおい、話がすり替わってませんか?
担任していた6年生の子どもたちにも、妹のことを伝えました。手術には付き添いたいと。すると彼らはこう言いました。「行け行け。先生、俺ら、先生がいなくても何でもできるぜ。とっとと妹さんのところへ行っちゃえ」「そうだそうだ。俺らをなめるな」。口をとがらせながら、でも、温かいまなざしで口々に言う子どもたちから、私は、『許し』と『共感』をもらったのです。ちょっと大人に見えました。
言葉も大切ですが、言葉以上に語る人の想いが伝わるのですね。『共感の心』。改めて考えてみたいと思います。皆さんの『共感』にまつわるエピソードも、ぜひ、お聞かせください。お待ちしていますー。
そうそう
そうです
共感することが一番難しい
そうそう
そうです
共感してほしい事が
たくさんある
そう
元気のないときは
共感が欲しいときは
共感してもらえない事で
傷ついたりする
そんな経験をたくさんしているのに
つい
共感する事を忘れてしまう毎日
自然と
共感できる自分で
いたいなあと思います
ありがとうございます。幼子のような純粋さを持っておられるからこそのご感想。ひたひたと沁みます。
小学生の話に目頭が熱くなる、純粋な共感、愛が伝わってきました。
話をすり替える。おばさんトークにはありがち。ですね。
私も、幼子のような純粋さで人と接したいと切に願う者です。