「to do」よりも「to be」が癒しになる

自分の気持ちで接するのではなく「相手の必要に共感」する

樋野興夫先生の『生きる力を引き出す寄り添い方』と言う本の中のタイトルのひとつです。これによると、たとえば、がんになった夫に妻は何ができるかを考えます。そして、少しでも栄養のあるものを食べてもらおうと心をこめて料理を作ります。ところが、ご主人は食欲がない。食べたいけれども食べられない状態にある。妻の考えは正論ですが、けれどもこれは、妻の思いを優先した正論であって、考えてほしいのは、それが夫の必要に共感したものであるかどうかだと。つまり、「相手の必要を汲みとり、そこに共感する。これががん患者との日々の暮らしの中でもっとも心掛けてほしいことです」と。

そのうえで、南原繁氏(戦後初の東京大学総長)の言葉から、こう綴られています。「何かをなす(to do)前に、何かである(to be)ということを考えよ。それが新渡戸稲造先生の言われるいちばん大事な考えであった」と。

がんだった妹のそばにいることは、大変しんどいことでした。いつも死がそばにあり、それは恐怖で、とうてい触れられない。それよりも何かをしているほうがよっぽど気が紛れる。誰の?そうです。私自身の、です。そういう家族の気持ちも分かったうえで、樋野先生はこう言い切られます。「何かをすることによる癒しと何かである癒し。どちらが患者にとって心地よいか、応えは明白です」と。

自分が苦しかった時を思い出すと、確かに、何かをしてもらうよりもただ側にいてもらうこと、そのことによって満たされていました。しんどい気持ちを抱えた人のそばにいる。その時を一緒に過ごす。それこそが「相手の必要を汲みとりそこに共感する」ということかと思わされます。