居場所

「居場所がない」という一文を読んで、思い出しました。私の「居場所がない」と感じた一番幼い頃の記憶を。

それは幼稚園の頃かなあ。母の隣には兄が、父の膝の中には妹がいて、ふと気がつくと私には居場所がなかった。オロオロした私は、逃げるように台所に行き、そこから私以外の家族の様子を見ていました。輝いて見えました。ポツンと取り残されたようで、寂しさが込み上げてきました。それ以来、「居場所がない」に敏感になったように思います。一人ぼっちで寂しそうにしている誰かがいると、先生!と心の中で呼び求めたり、自分がそばに行ったりする子どもでした。

これが『ラケット感情』だと知ったことは、衝撃であるとともに、希望でもありました。「自分で決めた偽の感情だから、自分で変換できる」と教わったから。

数か月前にも、「居場所がない」感覚がじわっと来たのですが、同時に、「居場所は私の内側にある」「私が私の居場所」そんな思いが沸きあがり、自分の中心が落ち着きました。

自分で決めた偽りの感情『ラケット感情』は、自分で解除できる。取り残された寂しさの中にいた幼い自分に、「大丈夫だよ。一緒にいるからね」と大人の私が声をかけていく。そんなことを、今日もしています。