ドラレコとのお付き合いにも、少しずつ慣れてきました。すると、自分の特性にも気づいてきました。「A」がもらえないと悔しくなるんです。やがて、ドラレコの「A」の基準を見つけ出して、それに近づこうとする自分に気づき、これが、休職中の診断書にかかれた「過剰適応」の実体かと愕然としました。もちろん、うつになった頃よりもずっと「過剰適応」の私は、和らいでいます。それでも、元々の性質は今もあるんだなと改めて気づかされました。
「過剰適応」とは、相手の期待に「必死で」応えようとすること。期待以上のことをやろうとがんばること。私の場合はそうみたい。そうやって、無理をしてきた。自分の実力を無視してがんばった。そりゃあ疲れます。疲れがたまって、一気に爆発。倒れ込む。これが私の根底にある性質。言い換えると、「ええかっこしぃ」な私です。それは、「私はここにいるよ」「私のこと、認めて!」そんな叫びでもあります。
「評価」には基準があり、それは、世の中では大切なものでもある。教師として、随分いろんな「評価」をしてきました。良くも悪くもそれが仕事で、最善を尽くしたとも思ってきました。そんな私が今思うのは、自分勝手な「私の基準」ではなく、自分も相手も大切にした、「愛」を基にしたかかわりがしたいということ。「私の基準」も「世の中の基準」も、時代とともに移り変わるから。もっとしっかりとした「愛」「思いやり」のまなざしで、世界を見つめる人になりたい。これも「ええかっこしぃ」かな。でも、ええかっこしぃな私も、案外可愛いな。