『アメージングジャーニー~神の小屋より~』という映画をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。大切なお子さんを誘拐犯に殺された父親が、奥さんと亡くなったお子さんが「パパ」と呼んでいる神さまから招待状を受け取り、お嬢さんが殺された小屋に行きます。そこで神さまに出会い、癒されていく様子が描かれた映画です。
実は、私もそのような体験をしました。傷を負い、痛みと苦しみの中でもがいた時がありました。そんな中、偶然、その痛みが始まった場所へと導かれたのです。そこに行くのかと思うだけで足は震えます。それでも、足が動くのです。まさに、誘われている感じでした。無理はしない、辛くなったら引き返すと思っていたのですが、自分の心と相談しながらその場にいるうち、映画のお父さんのように、「大いなる力」が温かく見守ってくれている感じがしてきたのです。癒しの始まりです。自分で何とかしようと思っているうちは、かえって囚われて身動きできませんでした。でも、時満ちると、いろんなことが動き出すのだと思わされます。
どんな傷であれ、その傷を癒すための準備は、すでに為されている。人を通して、出来事を通して、私たちには、それぞれの「最善」が用意されている。そう思うだけで、ホッとします。今、ご自分が、あるいはご家族が、クラスの子どもたちが、厳しい状況にあるかもしれません。それでも、確かに人生は最善へと導かれているのです。
「痛み」「悲しみ」「苦しみ」という自分の心の窓から見ている時には分からなかったことが、導かれ、「大いなる窓」から見られるようになった感じです。癒しとは、自分の握っているものを手放すことから始まるようです。私の癒しの旅は、始まったばかりです。でもきっと、さらに良い人生が待っている。そう思うと、内なる自分が温まります。長い冬の期間にも、希望の種は土の中で芽を出す時を待っています。それを信じていきましょう。