こんにちは(*^▽^*)先生元気プロジェクトの籠井です。うつ物語その2です。
2004年8月11日。淡い空の色。夏の雲。降り注ぐ蝉の声。じりじりと肌に痛い日差し。何もかも昨日のことのように思い出せます。いただいたばかりの診断書を持って学校に行きました。そして、不在の校長先生に代わって、教頭先生にそれを渡して帰りました。その夜の校長先生の最初の言葉は、「仮病じゃないの」それは、「自分で病院に行って自分で診断書を持ってきた。うつの人はそんなことはできないから」だと。怒りがこみ上げてきました。『一人暮らしの私は、どんなにしんどくても、自分でするしかないじゃないの!私の4年間を知らないくせに、何言ってるの!』見えない病気は、分かってもらえないのだと痛感しました。言い返す力すら残っていなかった私は、次の日から、20時間ぐらい眠る日が続きました。起きている4時間の間に、食事をし、お風呂に入り、母の介護に行きました。味を感じるようになり、お風呂でくつろぐことができるようになるのは、まだしばらく先のことです。ただただ眠りました。死んだように眠りこけました。そして、身体が少し緩んできた頃、心も緩んで、押し殺していた様々な感情が吹き出してきました。『妹を返して!どうして私一人が背負わなければならないのか!なぜ、兄は手伝ってくれないのか!』時間もお金も心も使い果たした。ぼろ雑巾のような自分。吹き荒れる感情に、引きずり回される日々でした。どうやって生きていたのか。とにかく、母を残しては死ねないという思いだけが自分を支えていた気がします。
そして、9月1日。新学期の始まりです。自分には行くところがない。負け犬。そんな思いが渦巻いていました。そして兄から言われた言葉は、「学校が始まる時間に家を出て、学校が終わる時間までは帰ってくるな。世間に知られるな」。私のうつは、兄にとっては恥なのでした。そんな気持ちを吹き飛ばしてくれたのが、産休中の同僚です。我が家にあった赤ちゃんグッズを取りに来たのが、9月1日だったのです。彼女のおかげで、覚悟を決めて、窓を開けることができました。彼女は、今もその事を知りません。でも、本当に感謝しています。うつむきがちな顔を、少しでも上げることができたのですから。本当にありがとう!
ちなみに、診断書が出てしばらく後の夜、職員室の机の片付けに行きました。その頃は、車を運転する事もできにくかったので、友人に助けてもらいました。人に会わないように夜来るように言われたことは、校長先生にしたら親切だったのかもしれません。でも、闇に放り出されたようで、けっこう堪えました。
今日は、ここまでにします。読んでくださってありがとうございました。またお目にかかりましょう。