多国籍、多民族、多宗教…そんなマレーシアの大学生の話の中で印象に残っているのは、みんなでバレーボールをしていた時のことです。見知らぬ青年が2人、参加して一緒に楽しんだそうです。「誰かの知り合いなの?」と尋ねたら、みんなの返事は「知らないよ。でも、バレーボールをしたかったんでしょう」。
『自分もやりたい』。それが参加の理由で、それが当たり前の世界。ことさら「多様性」なんて言わなくても、ごく自然に集まって、一緒になって楽しむ。目的を共有しているから、共にいられる。なんて寛大で平和な世界。
現代は、「差別化しないように」と声高に叫ぶほどに「差別化」が進んでいます。始めに人間がこの世界に表れた時には、もっと緩やかで混ざり合う世界だったんじゃないかな。いつの間に、こんなギスギスした世界になったんだろう。責めと守りに必死になっている。なんて思います。どうなんだろう。
大きな空と豊かな緑の大自然を眺めながら、原始の時代の人と人の交流に思いを馳せてみています。自然界では、いろんな植物が、少しずつ譲りながら共存しているそうです。譲りながら、自分に合った生態系を造り上げている。これこそ、進化であり、深化。「おぬし、なかなかやるな。」って感じです。これも多様性の世界の一つか。