京セラ創業者の稲盛和夫氏が言われます。「人格というものは、『性格+哲学』という式で表せると考えている」。「人間が生まれながらに持っている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけて行く哲学の両方から、人格というものは成り立っている。つまり、性格という先天的なものに哲学という後天的なものを付け加えることにより、私たちの人格ーー心塊の品格ーーは陶冶(とうや)されていくわけです。したがって、どのような哲学に基づいて人生を歩んでいくかによって、その人の人格が決まってくる。哲学という根っこをしっかり張らなければ、人格という木の幹を太く、真っすぐに成長させることはできないのです。では、どのような哲学が必要なのかと言えば、それは『人間として正しいかどうか』ということ。‥‥‥中略‥‥‥すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分の事ばかり考えてはならないなど、誰もが子どもの頃、親や先生から教わったーーそして大人になるとわすれてしまうーー単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです」。
「人生に哲学を加味し、芯を作りなさい」と言われてから、哲学とは何ぞや?と思い巡らせていたのですが、そんな難しいものではなく、ごく当たり前の人として大切なこと、もっとも身近なものであったことが驚きであり、うれしくもありました。私には、私にフィットする哲学があるはずです。稲盛氏の言われる『人間とした正しいかどうか』が心に刻まれたことを感謝しつつ、もう少し、私の哲学を探してみます。
あなたにとっての、人生の芯となる哲学、どんなことですか?教えてください。
ゲシュタルトの哲学は現象学と実存主義が中心にあり、また体験が重視されます。それであんなワークになるわけです。
正しいかどうかを決めるには、それを評価する物差し、価値観が必要になってきますよね。で、その価値観が正しいかどうかは信仰、信念に基づくんじゃないかな。
私自身はイズム的なものがあまり好きではないので、その瞬間瞬間に何を良しとするかを決めている感じかな。
ただ『互いに愛し合いなさい』と『あなたがたの隣り人を愛せよ』だけは大事にしています。