「分かってくれた」「分かろうとしてくれている」

「分かってくれた」と「分かろうとしてくれている」。ともに力になるものです。

「人の心は分からない」。これは、故河合隼雄氏の言葉です。話し手と聴き手の世界と全く一緒ということはありません。だからこそ、「分かろう」という姿勢で聴かせていただくわけですが、時に、「この人は自分の思い通りにしたいんだな」とか「その考え方は変だな」と感じることがありませんか。これは聴き手の側の感じ方です。これにとらわれると、教えたくなったり話し手の世界を感じることができなくなったりします。そういう思いを脇に置いて、「その人の世界」へ心を寄せていくわけです。そうすることが「分かろうとする」姿勢であり、その結果として、「分かってくれた」という瞬間が生まれます。

けれども、「分かる」に到達しないこともあります。むしろ、その方が多いかもしれません。それでも、懸命に心を寄せて聴いてくれる人がいることは、話した方を力づけていきます。たとえそれが、「ごめんね。どうしても分からないの」ということになったとしても、いい加減に「わかるわかる」と言われるよりもずっと誠実です。この「分かろうとする」姿勢こそが、「分かろうとしてくれている」という安心感や信頼につながっていくのです。

「分かってくれた」も「分かろうとしてくれている」も、ともに、自分を大切にしてくれていると感じられるかけがえのない力なのです。