人生には、否応なしに嫌なことが襲ってくる時があるものです。その時、自分の側からだけの視点だと、いつまでもそこから抜け出せません。それを『全体から見る』という視点があると、試練の中にあっても、そのことから学ぶことが見えてきます。
前回、このように書きました。私にとっては、家族を次々に失った時が、転換期の一つでした。命の領域は、人間にはどうにもなりません。私の人生は、その一日で、全く変わりました。その時は、「なぜ」「どうして」という思いだけでした。けれども、数年たって、徐々にその意味が分かってきたのです。今、私が山形県米沢市にいることもその一つです。家族が誰もいないからこそ、教職を離れ、生まれ育った岡山を離れることができたのです。そして、『先生元気プロジェクト』を立ち上げた。人には、順風満帆に見えるかもしれません。自由を謳歌しているように見えるかもしれません。けれども、そこには、多くの犠牲があったのです。それを「犠牲」と受け止めるか「出発点」と受け止めるかどうかによっても、目線は変わります。
わたしはあの時、どうしようもない孤独の中で、人生を照らすひと筋の光に出会いました。今は、どんな暗闇の中にいても、「必ず光はある」という思いで光を探す自分がいます。孤独のゆえに、人の温もりを人一倍感じるようになりました。主治医の山本昌知先生の言われる『人薬(ひとぐすり)』の温かさを感じるのです。そして、自分も誰かの『人薬』になれたら、と思うのです。失ってなおそれ以上のものを与えられた。だからこそ、沸き上がったその思い。それはきっと、私の奥の奥に隠されていた「宝の思い」ではないでしょうか。それに従うように、人生の舵をきって今があります。
「今、ここ」がどれほど苦しくても、『全体から見える』時は必ずやってきます。その時がいつかは分かりません。けれども、信じて待っていれば、必ず光は見えてきます。苦しみや悲しみの意味が、すーっと分かる瞬間がきます。それを信じて、自分の奥の奥にある「希望の種」を信じて生きましょう。