「理想の自分」は「敵」

「人の目が気になる」という話をよく聞きます。自分を振り返っても、そうです。私の場合は、「人の目」とは、「評価」を意味することがほとんどで、それは今も変わりません。

最近思うのは、この「人の目」というのは、「人の目を借りた理想の自分」ではないかという事です。理想の自分に向かって努力し力を付けていくことは、素晴らしいことです。自分の可能性を伸ばしていくのは楽しいし嬉しい。自分の成長を感じるのは気持ちいい。ただ、気をつけたいのは気持ちが落ちている時。そういう時は、得てして、「理想の自分」に届かない「今の自分」を、ダメだダメだと裁いて責めて打ちたたきがちです。人が責めるのではなく、内なる自分が自分を責める。これはきついです。だって、自分とはずっと一緒ですから。どこに行っても、相手が変わっても自分とは一生一緒ですから。さらに、人と比べる時にも、この「理想の自分」がいると思いませんか。「あの人は素晴らしい(理想に近い)。それに比べて自分は…」。私はそうなっています。「人の目」は「内なる自分の理想の自分」。そう考えると、「理想の自分は敵」とも言えるという事です。

理想の自分を追い求めて努力する。それは、なりたい自分へと近づく素晴らしいことです。同時に、この理想の自分は、今の自分を責めるためにあるのではないはずです。

さらに、もっと内側の願い「こう生きたい、ありたい自分」を探すのもいいものですよね。内側から輝いていくなんて素敵です。人生の最後には「疲れた」ではなく、「いい人生だった」と言いたいです。