こんにちは(*^▽^*)先生元気プロジェクトの籠井です。
転勤一年目は、自分の変化をいろいろと感じた年でした。例えば、出張。教職員には、与えられた校務分掌の出張があります。ただ、与えられているものですから、当然、関心が薄い分掌もあります。私の場合、「教育相談」には反応したのですが、それ以外は全く興味がわかなかった。というか、どんな校務分掌かも覚えていなかった。ただ、「教育相談」にだけは参加しました。そんな私のことを校長先生は「分かりやすい」と言ってくださいました。ありがたかったです。それにしても、ここまでぽかっと忘れたのは、うつのおかげです。それまでの私は、こんなことまで記憶に残るのかというくらい事細かに覚えていました。現在は、自分の都合に合わせて忘れていくという、素晴らしい脳になっています。周りの人は迷惑かもしれませんが、まあ、迷惑をかけるのは生きている証拠。迷惑は、かけることもかけられることもある。できるときには助けるし、できないときには助けてもらう。お互い様ではないでしょうか。確か、金八先生が言ってませんでしたっけ?「人という字は、人と人が支え合ってできている」みたいなこと。いつも支えるだけの人生なんてあり得ない。支えられるだけの人生もあり得ない。それに、支えたり支えられたり。。。そこには「ありがとう」の交流が生まれます。
紙を貼るときには、『のりしろ』がいります。のりしろがないと紙はくっつきません。これは、生活にも応用できます。例えば掃除の時。掃除分担はあるんだけれども、お互いそれを少しだけ超えてきれいにすると、境界線の所がとてもきれいになる。人と人との関係も、これに似ていると思うのです。相手の様子に合わせて、助けたり助けられたり。ほんのちょっとの『のりしろ』が豊かな生き方をつくることってあると思います。もちろん、お互いの境界線を守ることも大切です。
半年間読んでいただいた「うつ日記。」は、ひとまず今回で終了とさせていただきます。今までは、うつの時の自分を思い出して書く作業でしたが、次回からは、少し客観的に、私にとっての「うつ」の意味を見つめて行こうと思います。今まで、本当にありがとうございました。そして、次回またお目にかかるのを楽しみにしています。
そうそう、まさにのりしろ。人間関係でも、うまくのりしろ感をもちたいものです。ありがとうございます。
「のりしろ」の距離感がいいですね。
子どもの頃、子どもながらに心に残っているお話があります。
ある落語家さんがお弟子さん時代、
師匠の家の前の掃除を言い遣って、
気を利かせて
隣の家の前まで綺麗に掃いたら、
「お節介だ❗」と隣の方に怒鳴られた。
だから次の日、境界線きっちり掃いたら
「冷たい」と怒鳴られたと。
まさに「のりしろ」って言葉がぴったりのお話でした。💡
うつのおかげです。と言えるっていいなぁ~
・・・のおかげです。って言える私を楽しみに🍀
また日常をコツコツと‥🤗
そのような深い体験をお持ちだとはつい知らず。
とてもご立派に生きていらっしゃいました
感動的なブログありがとうございます