「どうせ」と「なら」

「どうせ」という言葉に引っかかったのは、まだ駆け出しの教師だった頃です。子どもたちが、思いの他よく使うことに驚きました。それは、自分への否定的な感情が絡んでいて、聞くほどに悲しくなったものでした。

では、今の自分はというと、「どうせ失敗するなら、思いっきり失敗しよう」とか「どうせ誰も見向きもしないなら、やりたいようにやっちゃおう」と思うようになっています。「どうせ…」は、肯定的にも使えると気づいてからは、自分の気持ちに正直に、素直に、「どうせ」を逆転させています。「どうせ一度きりの人生だもの。自分らしく、正々堂々と生きよう」。そう思うと、失敗も成功も関係なくて、ただ一つの経験になるんだと気持ちが楽になります。

そう。人生はすべて経験なんです。失敗も成功もない。無駄もない。遅かろうが早かろうが、それが自分にとっての最高で最善の時。人生は短いよ。「どうせ私なんて…」といじける時間はもったいない。私という人間は、この世に一人しかいない、かけがえのない、唯一無二の存在です。「どうせなら」力いっぱいenjoyしましょう。そっか。「なら」をつければいいんですね。「なら」「なら」