ゆるしとは

「あの人が悪い」「あの人のせいで…」「私が嫌な思いをするなんて理不尽だ」などなど、人を裁くことに長けている私です。しょっちゅうやっている気がします。だからでしょうか。『ゆるすということ』という本を手に取ったのは。

「ゆるせない相手のせいで私はこうなった」ということを繰り返し話されると、聴く側にいる時には「そうは言っても、そこに留まっていては苦しいよ。そろそろ手放してもよいんじゃないでしょうか」なんて思うんです。でも、自分のこととなるとそうはいかない。いつまでも被害者側にいて、ぐずぐず言う自分がいます。それが嫌で物理的に距離を取ったりしますが、ふとした拍子に嫌な気持ちが湧いてくる。すると、それに振り回される。やめたいと思うんだけど、ぐるぐるぐるぐる。それは、手放していないということ。ゆるしてはいないということ。私の場合はそうです。

人を裁いている時は、実は自分を裁いている時。そう理解していますが、いかんせん感情がついていかない。もうしばらく、ぐるぐるします。。。ああ。。。情けない私。これが私。ゆるすって難しい。。。なんて日々です。それでも仕事は普通に行けるから感謝ですね。ゆるせない自分への声かけだけは、「そうだよね」「そう思って当然だよ」と続けています。きっとそのうち薄れていくと信じて。人をゆるすって、私にはできない。そんな私も許ゆるされて、今ここを生かされています。感謝です。

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