「完璧にやろう」と思う時、多くの場合、人の目を意識しています。
この文章を読んだ時、私のことを見ていたのかと思いました。
私が休職する前の、「よき姉・よき娘・よき教師」として全力を尽くしていた頃のことです。「できるだけのことはやりたい」。これは間違いない気持ちでした。妹は癌と闘っていたし、母は脳出血を起こしたし、私は学年主任でしたから。でも、心のどこかに「これだけやっていたら、誰にも指さされないだろう」と、「後ろ指さされない完璧な自分」を意識していたことは否めません。
そのあげく、起き上がれなくなって休職しました。でもその時、誰にも指さされないはずが、これくらいで倒れるなんて、平気でがんばっている人もいるのに…と自分が自分を責めたのです。。。。人の目は、結局、自分の目でした。理想の自分。強くて優しくて完璧な自分が、倒れた自分を責めるという、なんとも言えない現状がありました。
でも、あの2年間の休職で、私は人の目から解放されました。私が私を生きなくてどうするの。一度しかない人生を、自分を大切にして生きたい。そんな思いが溢れてきて、好きだったこと、喜びを感じていたこと、かけがえのない友人…大切なことを思い出すたび、私を取り戻すたびに心が軽くなっていくのでした。人の目を気にして生きるには、人生は短すぎます。誰のための完璧なのか。誰のための人生なのか。そんなことを問われる文章でした。
100点取れなくたって私は私。失敗したって、いいじゃない。私が私を喜んで、今日を感謝して生きる方が、よっぽど気持ちいい。完璧な人のそばは、窮屈じゃないかな。だらりと緩むんだところは、陽だまりかもね。どんな自分にも「ありがとう」。「よくやっているね」。「大好きだよ」そう言いたいものです。
