私の出会った子どもたち・・・不器用という宝物

こんにちは(*^▽^*)先生元気プロジェクトの籠井です。

私が出会った子どもたち・・・不器用という宝物

小学校2年生のSちゃんは、給食当番の時、お茶碗を目の高さにして真剣にご飯をついでいました。眉間にしわが寄っています。初めての経験だったのでしょう。一緒に、ご飯のつぎ方を練習しました。彼女の真剣さは「不器用とは、誠実という意味」だと教えてくれました。

図工の時間、自分の作品を紹介し合った時のことです。Sちゃんは、何をどう言えばいいのか分からなくなり、立ち尽くしてしまいました。代わりに言うこともできましたが、彼女は自分で言うことを選びました。次の日も、その次の日も言葉が出ません。そして5日目。Sちゃんが意を決した表情で「言う」と言うではありませんか。自分の作品を持ち、みんなの前に立ったSちゃん。彼女の緊張が伝わってきて、聞く子どもたちも緊張しています。教室の空気も、ふるふる震えていました。彼女がささやくように説明をした後、教室は割れんばかりの拍手に包まれました。Sちゃんは、私の胸で泣きじゃくりました。

その後もSちゃんは、「誠実に不器用」であり続けました。それは、周りの子どもたちに、さざ波のように広がっていきました。とにかく、自分でできるところまではやろうとするようになったのです。「不器用」という宝物を持ったSちゃんが、飾らないままでいてくれたおかげです。

きっと、Sちゃんは、今も、どきどき悩みながら過ごしているんじゃないかと思います。そして、一つひとつ手抜きをせずに誠実に取り組んでいる。あの真剣な表情を思い出すと、一見、欠点と思えるものこそが、その人の持ち味でありその人の本質に近いものであるとつくづく思います。「自分の欠点を誇ろう!」と叫びたい。視点を変えれば、それは、なくてはならない宝物なのですから。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。またお目にかかれる日を楽しみにしています。