けちべえ

最近「疑うことの意味」を考えるようになりました。それは、様々な方のお話を伺う中で、自分の思い込みで苦しんでおられる方が多い、ということからです。そんな中、ふと思い出したのが、ずっとずっと前、大先輩が冊子に載せておられた『けちべえ』という言葉です。

白いスーツがお似合いのその先生は、恒例とか前例とかに「ケチをつける」ことの大切さを書いておられました。相手の主張しておられることにも「それは本当か?」と「ケチをつけてみたらどうか」と。つまり、「疑うこと」も必要なのではないかという内容だったように記憶しています。駆け出しの私には、「ケチをつける」などという発想はなくて、いつの日か、そんなふうに思えるときが来るのかな…と驚嘆した思い出があります。

けれども最近、「私はダメな人間だ」「いない方がいい」「人は私をダメだと見ている」…という事を聞くにつれ、その方たちが、自分のその考えを疑いもせずに信じ込み、その中でもがき苦しんでおられるお姿に触れるたびに、そんな思い込みを疑うことも、大切なことではないかと思わされるのです。

聖書の中に「鼻から息する者に頼るな」というみ言葉があります。鼻で息する者とは、人間のことですが、私たち人間は、時代の価値観や親や教師などの言うことを信じて生きています。でも、それらには、時代と共に変化するものもあります。「運動時は水分を取らない」と言われてそうしてきたことが、今では「水分はこまめに取る」と言われるようになるなど、変化したものは、かなりあります。さらに、私自身も、鼻で息する者です。私の感情は、その時々で揺れ動きますから、一番危うくて、信じてはいけないのが自分かもしれないなと感じたことを思い出します。

時を超え、『けちべえ』は「疑うことの意味」を問いかける大切なワードとして蘇りました。今は、「本当に大切なことは何?」と俯瞰して捉えなおすワードとして、大切にしたいと思っています。

 

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