前回、「それにもかかわらず、感謝する」という話の中で、ドーナツの話をしました。視線を「穴」ではなく「ドーナツ」に向けようという提案でした。その穴の中には、「空虚感」「虚無」もあると思います。

空虚感や虚無は、何かを失った時にひたひたと襲ってきます。最近、この空虚感が私を襲ってきたのは、西日本豪雨の後でした。豪雨から1か月ほど経った8月の半ば、真備町に行った私は声を失いました。そこにあったのは、色も温もりも何もない「廃墟」だったのです。根こそぎ何もかもなくなって、ただひんやりとした虚しさだけが残っていました。やがて私の心の中にも冷たさが広がっていき、いつしか心は「虚無」に浸食されていました。それに気づいた時、飲み込まれそうな恐怖が沸き起こりましたが、ふと「ああ、この虚無とともに生きよう」と思ったのです。今思うと、よくそんなことを考えたと思うのです。それまでの私だったら、その虚しさを味わわないように、必死で何かをしていたと思うのです。穴(つまり、空虚さや虚無)から目をそらすために、必死で穴を埋める努力をしていたはずです。

どうしてそんな気持ちになったのか、それは今も分かりません。が、学校現場を離れてからの生活で、余白を生きる感覚をしらずしらずに身に着けていたのかもしれません。学校では、チャイムが私を動かしてくれたし、目の前の出来事に対応するだけで一日は過ぎていきました。何も考えなくてもよかったんです。ところが、仕事をやめたとたんに空白だらけの日々になり、テレビを見ながらおやつを食べるという日が続きました。つくづく私は、役割を生きていたと知りました。このままで終わりたくない。でも、どうすればいいのか分からない…そんなもやもやしている時、ふと「使命とは、命を使うと書く」という言葉を思い出したのです。

私のこの世での使命は何?「教師をし、家族を亡くし、鬱で休職した私」を客観的に眺めるうちに、むくむくと動き出したい気持ちが沸き起こりました。今思えば、それが「穴」から「ドーナツ」に視点が変わった時なのだと思います。穴をおやつやテレビで埋めていた心が、希望というドーナツへ移ったのです。穴を食べ物で埋める私のような人もいれば、仕事や人や遊びで埋める人もいるでしょう。でも、たぶん、それだけでは穴は埋まらない。むしろ、もっと穴が暗く深くなる気がします。

「穴よりドーナツ」美味しく生きましょう!無いものを別のもので埋めるのではなく、すでにあるものへ視線を移して生きましょう!