五木寛之氏(作家)と稲森和夫氏(京セラ・KDDI設立者)の対談集『何のために生きるのか』の中に、「人はそれぞれ、自分だからこその使命をもって生まれてきている」とありました。「確かに。でも、そうは思うけれど…それが分かれば苦労はしないよ。」と言いたくなってしまう私がいます。
ふと、アウシュビッツ収容所の経験をしたヴィクトール・フランクル氏を思い出しました。彼は、「私の幸せはどうすれば手に入るのか」「私の自己実現は、どうすれば可能なのか」という『私中心の人生観』から、「私は何のために生まれてきたのか」「私の人生には、どのような意味と使命が与えられているのか」という『生きる意味と使命中心の人生観』を知ることが大切であると言います。ついつい人生に(または人に)期待してしまうのですが、人生が私に期待しているものをキャッチし、生まれてきた目的を生きるという視点の変換が肝要だというのです。
『私中心』とは、自分の側から自分のできることを考えている『to do』の生き方とも言えます。『生きる意味と使命中心』とは、この世に生まれてきた時からすでに与えられている『使命』に気づきそれを生きる、ある意味、『to be』の生き方なんだろうなと思います。その人の存在そのものに大切な意味があり、その存在が最高に輝く自由で美しい生き方とも言える気がします。五木氏も稲森氏も、ご自身の人生の目的を生きておられるからこその言葉だなと思わされます。
私だからこその人生を生きるためには、私の持ち味を知ることも大切だと思うのです。「私の長所、なんですか?」「私の持ち味、なんですか?」しばらく、これを聞いて回ります。自分じゃよく分からないから。聞かれた方は、教えてくださいね。よろしくお願いします。
意味と使命…きっと分からないまま、もしくはそんなこと考えることもなく人生を終える方もたくさんおられると思います。
でも、そんな人生にも意味があったのだとしたら、生きることに意味を見出だせないとしても、その人生をいろんな経験や思いを抱えながら最期まで生き抜いたことには意味があると思うのです。
たとえそれがわずか数年、数ヶ月の人生だったとしても…。