終わり方

先月ご家族を見送られた方からお聞きした話です。

大切なお母さまが亡くなる3日前から、ご家族で「お母さんの思い出の味」を再現し、舌鼓を打ちながら思い出話をしたそうです。それは、「お祭りみたいだった」と。住み慣れた我が家で、ご家族の声に包まれての旅立ちだったと思うと、胸が熱くなりました。耳は最後まで聞こえると言います。愛する家族の声に送られるというのは、温かく穏やかな時だったことでしょう。病院で、一人でということもある現代です。送る側にとっても、何物にも代えがたい時だったのではないでしょうか。

死は、誰にも等しく訪れます。私は最期の時、どうしていたいかなあ。独り暮らしなので、気がついたら死んでいたということも起こり得る。それはそれでよし。ただなあ…片付けないとなあ。身一つで生まれてきたのに、荷物増えてるよぉ。本気で就活しよう。生き方の整理もしよう。どこでどう死ぬのかは分かりませんが、「いい人生だった」と言って終わりたいな。

人生、与えられているのは、誰も等しくその一日だけ。一日一日。家族がいない私には、見送られるという感覚がわきませんが、それでも、かけがえのない今日を大切に生きようと思います。「いい人生」は「いい一日」の積み重ね。終わり方は、生き方だね。