空っぽにする

先週、少しだけふるさとに帰りました。何の約束もない一日。一人で過ごす時間。のんびりぼんやり。無心に片づけをしたり、空を眺めたり。気がつくと、ぐ~~んと息を吸い込んでいました。そして気がついたのです。最近、呼吸が浅かったことに。

人は、心配事がある時には呼吸が浅くなります。また、スマホやパソコンで姿勢が崩れると、呼吸が浅くなると言います。思えば、子どもたちもそうでした。緊張すると「はあはあ」と苦しそうな息になり、貧血になったり過呼吸になったり。私もそうでした。だから、寝る前に何回か深呼吸をしていました。数回すると、ホッとして力も抜けて眠っていたなあ。

美しいものを吸い込むイメージで深呼吸を繰り返すうちに、細胞の一つひとつにまで染み込んでいた何かが抜けていったようです。それは、米沢での日常に戻って気がつきました。どうやら、ぽか~んとして深呼吸をしたあの時間で、私の心は空っぽになっていったみたい。TCS本部のある米沢興譲教会の礼拝堂に一人でいると、空っぽの心に何か聖なるものが満たされていくような感じがしたのです。

『器を空っぽにすると、新しい水が満たされる』樋野興夫先生の日めくりカレンダー(11月25日)の言葉です。「そういうことだったのか~」とにんまりしながら、空っぽの心地よさと満たされる喜びを味わっています。

「忙しい」とは「心を亡くす」と書きます。今日の呼吸はどんなかな。何を吸い込んだかな。ここ数日は、そんなことを問いかけながら過ごしています。今日が良いもので満たされる一日でありますように。